“パリで最も歴史の古いホテル”として、多くの王室や世界の賓客を迎えて来た屈指の格式を誇るホテルである。それ故に戦争で勝利し進駐した軍隊は、占領地で最も良いホテルを最高司令部として徴用する。皮肉な話だが、それが結果的にホテルのステータスを証明してしまうことが多々ある。ナチス・ドイツの占領から解放への劇的なシーン、『パリは燃えているか?』の舞台となったムーリスは、まさにパリを代表する風格を備えている。
ホテルの歴史は1771年、カレーにて始まった。当時、カレーはドーバー海峡を渡ってパリへと向かうイギリス上流階級の旅行者が経由する要衝の地であった。そこで野心家の郵便局長、シャルル・A・ムーリスが彼らを迎え入れる旅籠“Coaching Inn”を開業し、ここに宿泊させた上で、パリへ郵便馬車での送迎手配を行なっていた。やがて事業は拡大し、パリに念願のホテル「Hôtel Meurice Paris」を1815年に創業。その後1835年に、パリで最もエレガントな場所の一つであるチュイルリー公園に面した現在の地へと移転し、今日の隆盛たる基礎が完成した。
ムーリスはスイートを含め全160室の客室を擁し、チュイルリー公園を見下ろす視野の広い眺望は、パリ中心部では貴重な存在である。今回はその眺望が魅力のベル・エトワール・スイート「Belle Etoile Suite」をご紹介したい。映画の中からそのまま飛び出してきたような最上級スイートで、実際に多くの映画のロケーションセットとしても使用され、部屋から眺めるだけでも感動ものといえる。メインダイニングは、以前、伝説的シェフのヤニック・アレノが腕を振るった「Le Meurice」の名前であったが、現在はアラン・デュカス監修の「Le Meurice Alain Ducasse」と名称変更している。この絢爛豪華なダイニングは、ヴェルサイユ宮殿の“平和の間”を再現したものというのもうなずける。また、「The Chef's Table」はアラン・デュカスのプライベートダイニングルームで、ヘッドシェフのJocelyn Herland氏が自ら調理し、彼の独創的な料理を8名までの少人数テーブルで頂く特別空間である。
ムーリスの常連だったサルヴァドール・ダリから名を取った、もう一方のダイニング「Le Dali」も見逃せない。天井に描かれた荘厳な装飾画は圧巻で、ムーリスのデザインに深く携わった建築家、フィリップ・スタルクの娘でアーティストのアラ女史によるものだ。ムーリスには歴史に裏付けされた見所は多いが、その一つがサロン「ポンパドゥールの間」であろう。国王ルイ15世の公式の愛妾、ポンパドゥール侯爵夫人の肖像画が燦然と輝くサロンである。美しいチュイルリー公園に臨むムーリスの佇まいは、当然のごとく「PALACE」の称号を最初に認定されたホテルとしての矜持を携え威風堂々としている。