国際ホテルジャーナリスト 小原康裕が訪れる世界のリーディングホテル

The Plaza

 

美しき貴婦人、“ザ・プラザ”。その美しき姿は永遠に輝き続ける

 

 
1985年9月22日、セントラルパークに面した豪華シャンデリアの耀く高級ホテルの一室で重要会議が開かれていた。人目を避けるように集まってきた日・米・英・独・仏、通称G5の大蔵大臣と中央銀行総裁が、一つの声明を出すため秘密裏に会合をしていたのだ。これが後にホテルの名を冠して“プラザ合意”と呼ばれて歴史を揺るがす声明である。その後、世界経済・金融の行く末はご存じの通りであるが、会議を主催した米国は実にふさわしい舞台を用意したものだと思う。

 
20世紀初頭、世界経済で頭角を現してきたアメリカがヨーロッパに負けない「世界で一番豪華なホテル」を合言葉に、フランス・ルネッサンスのシャトーを模したプラザを1907年10月に開業させた。設計にはワシントンD.C.のウィラードやジョン・レノンで有名なダコタ・アパートを手掛け、当時一流の建築家として知られていたヘンリー・J・ハーデンバーグを起用した。インテリアの装飾品はすべてヨーロッパから最高のものが輸入され、ボサール様式で装飾された20階建て総客室数800を超えるホテルであった。有名人も多くプラザを定宿としたが、中でも「近代建築の三大巨匠」の一人フランク・ロイド・ライトは最後までプラザを愛し、暮らし続け、ここで没している。晩年この大建築家は「私がこのプラザを設計したかった」と、その思いを吐露している。


 
プラザは最近の買収劇やホテル身売りの話でも世間の注目を大いに集めた。1988年バブル絶頂期に日本の青木建設(2001年に民事再生)が傘下にプラザを持つウェスティン・グループを買収したが、わずか10日後に今度はドナルド・トランプ氏に転売してしまう。90年後半にはトランプ氏にも陰りが見え始め、97年にはサウジの王子アルワリード氏とシンガポールのCDLに売却する。アルワリード氏がフェアモントホテルズのオーナーであったことから、運営はフェアモントグループに委ねられた。そして2005年にプラザは劇的変化を迎えることになる。再びオーナー権は移行し、実に時価の2倍の値段で買い取られたがそれでも充分利益の出るものだった。その真意はホテルを分譲マンションとして売却すれば、さらに巨額の利益が出る「打ち出の小槌」にあった。しかしこの計画はNY市民の猛反対にあい頓挫してしまう。結局、建物の約三分の一をホテルとして残すことで和解し、3年間の大リノベーションを経て08年にフェアモント・マネージドホテルとして再オープンしている。


 
現在のプラザは102室のスイートを含む全282室のホテルとなり、セントラルパーク側はすべて超高級コンドミニアムとなっている。しかし3年に及ぶ贅を尽くした大改造で、館内はより磨きが掛かり新築時の輝きと自信を取り戻している。大きな注目と希望を持って迎えた再出発だけに、従業員のモチベーションも上がり動きが機敏になったように感じる。ニューヨーク市の歴史的建造物にも指定されている美しき貴婦人、“ザ・プラザ”。その美しき姿は永遠に輝き続けると信じたい。


大型の国旗やホテル旗がたなびく正面ファサード

セントラルパーク側はすべて高級レジデンスとなり、小粋な専用エントランスが設けてある

多くの植栽に囲まれた麗しきダイニングルーム「The Palm Court」

1907年より続くプラザを代表する「The Palm Court」。天井の豪華なステンドグラスの装飾は注目だ

約90㎡の広さを誇る「Edwardian Suite」の優美なリビングルーム

ゴールド枠のベッドヘッドが華麗なオーラを放つベッドルーム

リビングからベッドルーム方向を見る

絵画や調度品など気品を感じさせるエレベーターホール

繊細なモザイクタイルとゴールドの水栓金具でデザインされたバスルーム

荘厳な雰囲気のファンクションルーム「The Terrace Room」。“プラザの宝石”とも言われ、総面積4680平方フィートの圧倒的空間である